初代会長 福島 忠一さん
岳南稲門会の初代会長 福島 忠一さんは、岐阜県のご出身で大正2年に理工学部電気工学科を卒業され、東京電力で水力発電などのお仕事をされていました。その後大昭和製紙株式会社に招聘され、昭和21年から昭和39年までは大昭和製紙の動力部門担当の役員(常務取締役)として大活躍されました。
大昭和製紙は昭和25年に富士工場、昭和35年に白老工場を立ち上げていますが、エネルギー関係は福島さんがその総帥でした。
会合の席にお出かけのときは御着物で調えられるのが常で、やさしく好々爺という風情がありました。当時、大昭和には女子バスケット部があり(昭和30年神奈川国体で優勝)、直属の部下で大学後輩の古郡
栄さん(昭和24年 電気卒)が早稲田の篭球部マネジャー経験を生かしてバスケットを指導されていたので、いきおい選手たちが電気部に集まってきました。
福島さんはなにくれとなく選手たちにご配慮をされ、ご自宅に招いておもてなし下さって激励と支援されておられました。福島さんを「お父さん」と呼んでいた方がおられた程慕われていました。
カメラを愛好されていましたが、写真を撮るとずっと後になっても写した方にひとりづづ必ずお渡しになり、とても律儀なので皆さんから大変に喜ばれていました。
ご墓所は大運寺(富士市)ですが、奇しくも岳南稲門会第2代会長の川島禮一さんの菩提寺でもあります。
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石井 真峰さん
岳南稲門会の創立メンバーのお一人である石井
真峰さん(まみね)さんは大正5年に文学部英文科を卒業され(卒業証書に総長 伯爵 大隈
重信、学長 法学博士 天野為之)、その後
ワシントン大学およびコロンビア大学で学ばれました。
帰朝後は早稲田大学高等学校教授につかれたのを始めとして、富士中学校・横浜商専・東商大・静岡高などで教鞭をとられました。
数々の公職を勤めておられますが、昭和46年に浄土宗大本山光明寺法主になられております。(鎌倉、昭和49年に大僧正、富士宮市・大頂寺ご住職)
数々の著書(英文も含めて)、訳書および論文が多数あります。
シカゴ大学名誉教授(人類学)F・スタール博士とご親交があり、「東海道行脚」の翻訳をされ朝日新聞に連載されました。 スタール博士はアイヌ民族の研究で来日し、日本の民俗・風習の研究に尽くされ、お札博士としても名高い方です。
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